時の記念日の歌
6月10白は「時の記念日」です。どうして、この日が時間の記念日になったのでしょうか。わが国ではじめて時計が使用されたのは、万葉時代、第38代天智天皇10年(671年)4月25日のことです。当時の時計は水時計で、管を通した4つの箱を階段状に並べ水の漏れて落ちる量によって時刻を示しました。「漏刻」とよばれました。その遺構が発見されました。滋賀県大津市(近江宮)にゆくと、その水時計を復元したものが飾られています。この水時計を使用した最初の日が4月25日、これを太陽暦に換算すると6月10日になるのです。
奈良の都では、漏刻博士の命令で、1日6回の時刻を知らせるために時守に鐘を打たせました。今と違って世の中全体が雑音も少なく、音の伝播をさまたげるビルもなかったから、相当遠くまで聞こえたものとおもわれます。今回の万葉歌はその時刻を知らせる鐘の音を聞いて作った笠女女(かさのいらつめ)という女性の歌です。
皆人を宿よとの鐘は打つなれど
君をし念へば寐(いね)かてぬかも
これは、笠女郎が大伴家持に贈った恋の歌です。「さあ、皆さんおやすみなさいという合図の鐘がなっていますが、あなたのことを思うと、もう眠れないですよ」という意味の歌です。
当時は季節に関係なく1日を十二等分するものでした。漏刻ではかった2時間ごと、晨朝・日中・日没・初夜・中夜・後夜の6つの時を鐘を打って知らせました。人々が寝る時刻は、亥の刻(午後10時ごろ)に鐘を打ち鴫らしました。
この歌は、そういう寝る時、という一方的に家持に恋の執念をもやす女性笠女郎の切ない思いを率直に歌ったものです。当時の1日は、日の出から日没までです。日が落ちてからは明日になるのです。昔から、「よみや」「たいや」などいう前夜祭は、もう1日の始まりのことなのです。その持つ意味は大きいのです。
だから、当時の朝廷に仕えた人たちの勤務時間は、午前6時ごろから正午まででした。日の出と共に登庁して、正午の鐘を聞いて退出することに定められていたのです。今回は「時の記念日」にちなんだ万葉歌でした。
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