三輪山-----山の辺の道
この週末4日間、万葉の旅は奈良の「山の辺の道」を尋ねました。総勢30名。山の辺の道は桜井市→天理市→奈良へと三輪山の麓を通っています。万葉時代ほぼそのままの姿が残された道で歌碑も59基もあって20キロの行程です。一行には82歳の高齢者も参加しているので、半分l2キロの地点、三輪山の東端、巻向山を見ながら車谷を下ってきました。それでも22基の歌碑を訪ね解説と朗唱をするのです。
今回は、天智称制6年(666)近江(現在滋賀県大津市)の宮に都を遷された時、天智天皇の夫人額田王が近江へ向かう旅の途上で作られたものです。前に毎日見なれてきた三輪山と別れてしまうことを惜しんで、いつまでもいつまでも振りかえっては名残を惜しむという長歌があって今日の歌が反歌としてかかげられているのです。
三輪山も然も隠すか雲だにも
情有らなも隠さふべしや
「名残惜しい三輪山をどうして雲があんなに隠すのか、人はともかく、せめて雲だけでもやさしい心があってほしい。そんなにかくしてよいものか、いや、いけません。」という大意でしょう。
この歌にでてくる三輪山の麓に日本最古の神社大神(おおみわ)神社がある。御神体は三輪山そのもの。拝殿をあけると三輪山がまつられてあり、ふつうの奥の院はありません。
三輪を拝むのです。古ぴたたたずまいの拝殿は国の重要文化財です。廊下の天井から、大きな杉玉がさげられています。杉玉は酒神のシンボルとして酒造家の店頭に飾られています。
三輪神社は酒の神様としても有名です。全国から四斗ダルの新酒が神殿に積みあげられています。拝殿前に玉垣にかこまれた二股の老杉の根本の穴に2メートルもある青大将が時々水を飲みに出てきます。
この三輪神社の神官大神(おおが)氏の系図を見ると、宇佐神宮に派遣された大神比義の名前が確認されます。原始八幡神を応神天皇の神霊を持ちこむことによって皇室関係と密着させて、八幡信仰を広げていった後をしたのが、大神神社からきた大神比義だったのです。大神氏は、その後追われて、日出町の大神の地へ、やがて緒方氏となって大野郡へ、佐伯へと大神一族は衰退していったのです。
ロータリー万葉50首に戻る