端午の節句
一昨日は5月5日、端午の節旬でした。私等の子供の頃は男の節句、今は子供の日の祭日になっています。しかし、万葉時代は端午の節句は薬草狩りをする日です。「縦猟」というのは薬草を採取することなのです。これは昔の中国の風習ですが万葉時代、天智天皇のころすでに我が国にも入っていたのです。天智7年夏5月5日、天皇家は近江の蒲生野(かまふの) (現在滋賀県八日市蒲生野)の原野に立入禁止をした標野の網を張りめぐらして薬草狩りをしました。その時、天智天皇の夫人額田王と天皇の弟大海人皇子とが贈答しあった歌が今日の万葉集50首です。
額田王の歌
茜草さす紫野行き標野行き
野守は見ずや君が袖振る
大海皇太子答ふる歌
紫草のにほへる妹を憎く有らば
人嬬故に吾恋ひめやも
「紫のツユクサの野原に行って標野に行ってあなたが愛の袖を振っているのを野の番人が見ているではありませんか。もし天皇につげ口されたら大変ですよ」という意昧の額田王の歌です。それにすぐ答えて大海人皇子が「紫色が輝くようなあなたを憎かったら、どうしてももう人の妻になったあなたに自分がこんなにも恋こがれることがあろうか」という意味でしょう。五月晴の空の下で、薬草狩りをしている大原野で、こういう情熱的恋の歌が取りかわされた万葉時のおおらかさが感じられる歌ではないかと思います。
こうやって1年分の薬草を採取して、これを干して分類して薬玉に入れて天井からつっておいて必要に応じて使用されました。今はクスダマは選挙など当選した時に使われていますが、もともとは薬草を人れた玉びつだったのです。
こうした天皇家の重要な年中行事であった5月5日の端午の節旬でした。私等の子供のころ、屋根にヨモギや菖蒲の葉などを置きましたのも、その名残りの習慣だったのです。この日には、菖蒲の青い根をヒモでまるめて風呂に入れました。そう、菖蒲湯です。懐しい思い出の一つです。この「菖蒲」(ショウブ)を、鎌倉時代など武士が抬頭してきますと「尚武」(ショウブ)武を尚ぶと置きかえて武士は男。「男の節旬」になったのです。
ロータリー万葉50首に戻る