<ロータリー万葉50首>


大宮人1万人

 官庁や学校の人事移動が発表され、歓送会でにぎやかな時節が参りました。万葉時代の奈良の平城京に仕える役人(大宮人)は8000余人だったといわれています。下働きを加え ると1万人を越えたといいます。奈良の都の人工は20万〜10万と推定された大都会だったのです。10万人として10人に1人は役人ですから、平城京は文字どおり政治都市として大盛況だったと思われます。

 あをによし奈良の京師(みやこ)は咲く花の
          にほふがごとく今盛りなり

  

 太宰府の次官で来ていた小野朝臣老の作です。
 「あをによし」は奈良に係る枕詞です。塗料に使う、青土と丹(朱水銀)がこの地から多 く出たのです。枕詞になりました「奈良の都」は、爛漫と咲いたサクラの花が照り輝くように今盛りを極めている、という意昧でしょう。
 役人の五位以上が上級で、天皇の御殿まであがられます。六位以下は下級官吏。役人になるのには、任官試験があって大学寮に入り、卒業試験をパスするまでは任官できません。秀才科の試験は大変難しく、約230年間に合格者は65人といわれています。もちろん親の七光もありました。舎人という官人見習で任用されて、とんとんと立身する制度もありました。

 勤務時間は、午前六時半ごろには役所に着いていなくてはなりません。退庁は太鼓が正午に打たれると帰宅します。日の出とともに朝廷に入って天皇に再拝し、それから執務します。遅刻したものは政庁に入ることができません。正午までの半日勤務です。門を通る時、ひとりひとり確認し、出勤簿に記されます。出勤日数(上日)で手当が支払われ、また勤務評定も行われていたといいます。
 官人の休日は、月に5回。五月と八月には田仮(でんか)とよばれた農業休暇がありました。また3年に一度、定省仮(ていせいか)といって故郷に帰省して父母の安否を訪う休暇が30日間ありました。もちろん、有給休暇です。

 位階では正一位から正八位、その下に少初位の最下位がありました。少初位の年俸はいまの金額に直しますと二百数十万円、最高の正一位は三億円以上といわれています。それ以下の非常勤(番上官)は生活が成り立たないのでアルバイトをしました。正倉院文書には待遇改善要求をした要望書が残っています。


▲ ロータリー万葉50首に戻る