<ロータリー万葉50首>


防人の歌

 今回は、防人の歌を紹介します。防人は壱岐・対馬・北九州の辺境を守備する兵士で、天智天皇3年(664年)に設置され天平九年(737年)に停止。3年の任期で、2000人が東国(関東地方)から徴用され、東男は忠誠勇武の信頼がありました。2月が交替の時期で各郡から集められた防人を国司が引率して難波(大阪)に集まり、検閲を受けて瀬戸内海航路で任地に配置されました。
 天平勝宝7年(755年)、万葉編集者大伴家持が防人検閲の兵部省の次官に任ぜられました。歌好きな家持は、彼等に歌を作らせ、提出された歌が全部で166首、そのうち「拙劣歌」は捨てて、84首を採録して万葉集に載せました。万葉集巻第20に防人歌がこうして残されたのです。
 家持は、家族に別れて出処してくる彼等に同情の念を禁じ得ないで、忠誠を誓う歌よりむしろ惜別の心情を卒直に歌にさせた。時には当時の東国の方言や慣習などが表明されていて、歴史的資料としても貴重なものに評価されています。今回の歌は、上総国(かみつふさのくに)<千葉県>の市原郡(いちはらこおり)<市原市>の兵士刑事部直千国(おさかべあたひちくに

 葦垣(あしかき)の隈処(くまと)に立ちて我妹子がく
          袖もしほほに泣きしそ思はゆ

  

「葦で作った垣根の人目につかない物陰に立っていとしい妻が袖もしっぽりと泣いていたのが思い出されてならない」という意昧の歌です。
 涙で袖も「しほほに」濡れたという表現は実にすばらしいですね。しっぽりとか、ぐっし ょりとかいった言葉ではだめです。「しほほに」は美しい日本語です。当時の東国地方の男 子がこういう格調の高い言葉を使ったのです。日本語は万葉集によって洗練され美しい言葉 が出来ていったといっても過言ではありません。また、この彼女との別れの情調には哀愁も ただよっています。私も出征の経験がありますが、私らのころは、「汽車の窓から手をにぎり、送ってくれた人よりも、ホームの陰で泣いていた可愛いあの娘が忘られぬ」というズンドコ節でした。万葉時代も現代も少しも変りません。「ホームの陰」で泣いている、「葦垣の隈処」で泣いている女性、いいですね、こういう女性の哀切さ。女性の大事な心根として大切に守ってゆきたいものです。


▲ ロータリー万葉50首に戻る