<ロータリー万葉50首>


姫島の万葉歌

 今回は、姫島の万葉歌をとりあげます。作者は河辺宮人という人ですが、万葉集には6首伝えられていますが、そのほかの伝未詳。

    妹が名は千代に流れむ姫島のく
          子松がうれに苔むすまでに

 「このをとめの名は失せることなく、千年の後までも伝わることでありましょう。ここ姫島の松の木の梢か古くなって苔の生えるまでも」という大意でしょう。題詞に「姫島の松原に娘子の屍を見て悲しみ嘆いて作る歌」とありますから、水死した娘子の死体を見て歌ったのです。

 この歌にある姫島ですが、大分県国東半島の先端に浮かぶ姫島ととることには、これまで問題がありました。河辺宮人の次の歌に難波(大阪)の地名が歌われているからです。私も「二豊路万葉をたずねて」の中に入れておりませんでした。
 しかし、江戸期の郷土随一の碩学者三浦梅園は、その著作「豊後跡考」(宝暦5年)の中に、この万葉歌の姫島は、豊後国東の島をさすのだと明記してあるのです。この指摘にも、次歌の難波の歌があるため、私はあまり関心をはらわなかったのです。

 古来、多くの万葉解説書は大阪附近の川のデルタの一つであろうときめてきたようです。
 ところが、新春合同例会の時、講演された韓国の女流学者、呉 善花(お そんふぁ)さ んの近刊「攘夷の韓国、開国の日本」の中に、姫島に学術調査に訪れた彼女は、「日本書紀」の次の一文を引用して、韓国から渡来してきたアカルヒメがこの島にあがって比売語曽神社に祀られたのだと記しているのです。
 「伽羅(古代に滅亡した朝鮮半島の一国)の王子ツヌガアラシトの伝承によれば、白玉が乙女となり(アカルヒメ)、王子か妻にしようとしたが逃れ、日本の難波にやってきてヒメコソ(比売語曽)の社の神となり、また豊国の国東郡にやってきて同様にヒメコソの社の神となり、両地に祀られた」とあるのです。豊国の国東の姫島と難波の姫島と両方あるのです。万葉の河辺宮人が、両者を歌いこんだとすれば、この日本書記の伝説をもとにした歌だと考えても良いのではないでしょうか。女の水死者の死体とは、韓国より渡来して神となったヒメコソの女神そのものだとも考えられるのです。


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