新年の万葉歌
新年の歌を紹介する時期が少し遅くなってしまいました。今日は、万葉集の新年を寿ぐおめでたい歌について、お送りします。大伴家持の歌です。
新しき年の初めの初春のく
今日降る雪のいや重け吉事
新しきは、「アラタしき」とよみます。年かあらたまるのですから。「アタラしき」というのは平安時代からです。アタラといったら惜しいということになります。「新しい年のはじめであり、春の初めでもあるおめでたい元日の今日、どんどん降り積る雪。その雪と同じだ。今年もよいことがいよいよ重なることだ」という意昧になります。雪は豊年の兆しと当時からも信じられてきました。この雪と全く同じく、今年の国土も繁栄すると祝ったのです。
奈良時代、天平宝字3年(759年)の正月一日、因幡国(今の烏取県)の国府の役所(岩見郡国府町)で、国守大伴家持が部下の役人たちを召集して新年祝賀の宴を開きました。その時の家持の祝いの歌なのです。国守は天皇の代理ですから、都の宮中で天皇が行なわれるように正月の儀式四方拝をとり行いました。夜明けから始められたといいます。天平宝字3年、家持42歳。前々の年に発覚した橘諸兄の子息・奈良麻呂が、藤原仲麻呂(当時最高の権力者)を倒そうとしたクーデターに大伴家が関連して左遷されました。大伴一族の重だった者は捕らえられ多く刑死しています。家持は直接参加しませんでしたが、因幡にとばされたのです。因播は当時下国です。
そして、この新年の歌を万葉最終歌として載せて、家持はその後一切歌を作っていません。大伴一族の多くを失った家持は、心中深い憂鬱の情を抱きながら朝廷の役である国守の職務を全うしようと一生懸命でした。将来の大伴家のことを心配しながらも、大和の国のいよいよの発展を祈ったこの歌を万葉集最後にとどめたのです。だから万葉集45l6番のこの歌が、万葉集が完成した時と考えてもいいと思います。
その後の家持は藤原氏からどんどん追い落とされ、最後は陸奥国鎮守将軍として追われ謀略によって犯罪者とされ自害させられます。家持68歳でした。勅に許されるのは平安時代になってからです。
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