<ロータリー万葉50首>


百人一首と万葉歌

 新年が近づくと、百人一首の「かるた取り」が始まります。百人一首は、鎌倉時代に藤原 定家が万葉以来のすぐれた歌人l00人を選んでその代表歌を一首ずつ組みにしたものです。

 定家は京都の小倉山の中腹に時雨亭という庵を建てて、そこで選定したといいます。それで「小倉百人一首」というのです。北九州のことではありませんぞ。さて、この百人一首の中には、万葉集の原歌(本歌)と言葉を勝手に変えている歌があるのです。例えば次の歌がそうです。

  田子の浦(ゆ)うち出でてみれば(真白にそ)
          富士の高嶺に雪は降り(ける)

 山部赤人の有名な歌です。この万葉歌が、百人一首の歌になると次のようになるのです。

  田子の浦(に)うちいでて見れば(白妙の)
          富士の高嶺に雪は降り(つつ)

( )をした部分が万葉集の原歌と違うところです。これは、百人一首選定者の定家が独断的に改訂したものです。しかも、原歌のもつ意昧を大きく変えてしまいました。むしろ改悪と言ってもよいのです。

 まず、「田子の浦ゆ」を「田子の浦に」に変えたのが大変な誤ちを犯しているのです。「ゆ」というのは経由を表す古語ですから、「田子砂浦から」になります。北側に山や林のある田子の浦をずっと歩いて、やっと展望の出来る地点に出て見ると遥かに雪が降り積もっている富士山が望まれたという歌です。それを百人一首のように「田子の浦に」とすると展望もできない田子の浦に出たことになり、富士山は見えないのです。定家は実際に地形を知らないで改悪してしまったのです。

 また、「真白にそ」という、ほんとうに美しく真白に」という実景の写実を「白妙の」という定家の時代に流行した「枕詞」にしたのも実景を見て歌うという万葉精神をふみにじるものです。万葉歌の特徴は頭の中ある観念的な「思い」をあまり歌にしないのです。実際に見た自然の景色や物を直載的に表現して、それを自分の心と同一化しているのです。

 さらに「雪は降りける」雪が実際に積っているという写実を、定家は「降りつつ」という現在進行形にしてしまいました。今雪が降り続いていたら向こうに富士山が見えないではありませんか。こういう改悪した歌にして現代まで国民の多くの人たちに記憶定着させてきた罪は大きいと思います。私は定家の歌は好きです。いい歌が多いのです。しかし、百人一首の改悪はこまったものです。この点では定家が定価をさげたと言ってもよいと思います。


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