由布山の雪の歌
l2月の初めに、この南国で雪が降るのは珍しいことです。今年は特に急激に雪が訪れましたので、高齢者は文字どおり震えあがりました。
しかし、日本人は古来、「雪月花」といって詩歌の世界の代表的な素材とされてきました。ノーベル文学賞をもらった川端康成が最も好きだった言葉が「雪月花の時、最も友を思ふ」というものでした。続「千羽鶴」の舞台にした久住飯田高原には、この文言の川端康成文学碑が建っています。そこで、今回ロ一タリー万葉では、雪の万葉歌を紹介します。雪が歌われたのは万葉集中150首あります。
さて、この南国で雪を歌った万葉歌があるのです。しかも由布山の雪の歌です。
思ひ出づる時はすべなみ豊国の
木綿山雪の消ぬべく思ほゆ
恋人のことを思ひ出す時はもうどうしょうもありません。豊国の由布山の雪といっしょに自分も消えいらんばかりにあなたのことが思われるという歌です。甫国由布山の雪は、なんとしても早く消えてしまうのです。雪が消えるというのは、露が消えるというのと同じで、万葉集では死を意味するのです。もう死にたいほどにあなたのことが思われるというのです。これまでの万葉集解釈では、多くが「豊国の由布山の雪か消えるように」と訳していますが、そういう比喩やたとえはでとらえてはいけないのです。
当時の人は、そんな論理は考えないのです。もう、その消えそうな雪と自分の死にそうな 思いとが一緒なのです。この歌に続いてあるのが次の歌です。
天霧らひ降り来る雪の消えぬとも
君に逢はむと流らへ渡る
天霧らうというのは空が曇ることで、空が曇って降ってくる雪が消えてしまっても、あなたに逢おうと思ってずっと生きながらえてきたのです、という意昧の歌です。ここでも通常解釈では「雪のように」という比楡でとらえています。これはやはり間連っているのです。
しかし、万葉時代でも雪が多く降ることは豊饒の予兆でありました。雪の降るのは豊年のしるしだという歌がよく詠まれています。雪を最も多く歌った歌人は大伴家持です。なにせ越中富山に5年間も在駐したのですから、その歌はまたの機会に……。
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