<ロータリー万葉50首>


結びの心

 ロータリー万葉22回目は、紐結びの歌を紹介します。当時、旅に出る時に夫婦間では、下着の交換をして妻は夫の夫は妻の紐を固く結び合いました。そうすることによってその紐の結ぴ目に結んだ人の心が強く入ると信じました。夫は旅を続けている間、身の回りに妻の心があって安全を守ってくれるというのです。ですから、旅行中に紐を一切解かれないのです。解いたら浮気をしたことになるのです。家で待っている妻も解かないのです。だから今回のような歌が作られたのです。

        二人して結びし紐を一人して
          吾は解き見じ直に逢ふまでは

 旅の出発の時に二人で結びあった紐を一人で私は解きませんよ、おまえに直接逢うまでは、といった意昧の歌です。結ぶということは心が入ると信じたのです。「古事記」で最も古い神様はカミムスビ・タカミムスビの神です。そこに生まれた子ですからムスコ・ムスメというのです。
 そのムスビに漢字を次のように当てています。ムスビ=産霊すなわちムスピは心(霊)が産まれるというのです。ムスブと心が生まれるのです。
 あの災害の時に御飯の焚き出しをして作るのを「お結ぴ」というのも、お拮びを通してボランティアと災害者の間に、いい心が生まれるのです。だからお結びをわざわざ作るのです。関西大震災の時、ボランティアがとどけたお結びを、どのテレビ局も「お握り」と字幕に記していました。これは間違っています。握るのは片手です。「お結ぴ」でなければ両者の間に心は生まれないのです。握ずしはいいのです。片手でやっていますから、両手でこうやって三角型を作ったら、「お結び」でなくてはなりません。幼稚園でやっている「結んでいて手を打って結んで」という遊戯も、みんな「握って」でやっています。これは、こう両手で結ばなくてはいけません。
 合掌は結んだ姿です。印を結ぶともいいます。こうした時は悪い心は生まれません。なにか祈り、誓い、悟りといったいい心境になります。神道も拍手で手を打ちますが、やはり結んでいるのです。キリスト教もこうやって指を折り曲げて結んでいるのです。以前は食事をいただく時は、必ず手をこうやって結んだものです。いい心が生まれて、食物もすべてが脳を活性化する脳内モルヒネになるのではないでしょうか。例会の食事にもぜひ活用してはいかがでしょうか。


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