鹿児島の歌
連合年次大会に、22日の夜行バスで出発。鹿児島の2日間の大会を完全出席で終了して帰ってきました。大会については卓話で詳細報告があります。万葉集50首No.21では、珍しい鹿児島の歌を紹介します。鹿児島には万葉歌は4首だけです。それも実地にのぞんでの歌は次の大伴旅人の一首だけでしょう。
隼人の瀬戸の岩ほも鮎走る
吉野の滝になほしかずけり
隼人の瀬戸というのは、現在の鹿児島県阿久根市と長島との間にある黒の瀬戸のことです。
歌の意昧は、隼人の瀬戸の景色もよいが鮎の走る奈良の吉野川の急流には、やはり及ばなかったよ。というものでしょう。故里の吉野川に似た隼人の瀬戸の激流をみて、鮎の光る吉野川と比べて大和を恋しく思って作った歌です。
隼人族は、敏捷人(はやひと)と呼ばれて勇敢ですばしこい豪族で、しばしば大和朝廷そむきました。歌の作者も養老4年3月、隼人平定の征大将軍として出陣します。なにせ隼人軍は強くて歯がたちません。しばしば敗けるばかり。そこで宇佐神宮の神軍に援助を頼みます。神軍には智恵者がいて木偶人形を作って、面白おかしく角力や芝居を演じさせます。隼人軍がおかしがって笑い興じ油断しているすきをみて攻めこみ、ようやく勝利に導いたといい ます。その木偶人形か中津の古要神社に伝わって国の重要文化財になっています。その伝統が有名な北原人形芝居を創っていったのです。
旅人は九州のことをよく知っていたので、聖武天皇神亀5年に九州都府太宰府の長官として任ぜられます。ここにあしかけ3年滞在し、山上憶良と共に筑紫(九州)万葉歌壇の隆盛をつくります。この歌も、その神亀5年のころ作られたといいます。九州の地、太宰府に赴任してきて、あの7年前の隼人軍との激しい戦いを回想したにちがいありません。隼人の瀬戸も激しい流れで大変美しい景色であったが、わが故里の吉野川のあの鮎がきらきら光って走り廻っているのには及ばないと奈良を恋しく思っている歌です。連合大会の記念講演(木村尚三郎先生)やセミナーでも21世紀に斯待される人間像は、自然の美しさを身体全体の感覚で受けとめていく人間だと強調されていました。
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