<ロータリー万葉50首>


朽網山の歌

 先の月曜日に久住に紅葉を見に行ってきました。今年は暖かい日が続くので紅葉が鮮やかではありませんでした。そこで久住山の万葉歌を解説します。

 朽網山夕居る雲の薄れ去なば
       我が恋ひむな君が目を欲り

 久住山と大山山・黒嶽の三山を当時は朽網山とよびました。『豊後風土記』には、景行天皇が九州に下られた時、久住山の麓で食事をされようと泉の水を汲もうとしたら蛇が走っていった。その水が臭かったので、クサイズミといったのがクサミになり、クタミとなりました。クサミからクスミとなり、久住とあてたのです。
 歌の意味は、その久住山に夕方、雲がかかっているのが薄れていったならば私はあなたのことが恋しくなりますよ、あなたともう会いたくてなりません。そんな意味でしょう。会いたいということを「目を欲り」という言い方は面白いですね。あなたの目が欲しいというのですから、即物的ですね。みなさんも、会いたいという時には目が欲しいと言ってみたらいかがでしょうか。
 古来、この歌には二つの解釈がありました。一つは、元禄時代の契沖の、作者が実景を見 て作ったのだという説。二つめは賀茂真淵がこれは実景を見てではなく、比喩(たとえ)たものだという説です。久住山に夕方かかっている雲が薄れていくように私は不安になりあなたか恋しくて逢いたくてなりません。というような解釈になります。
 万葉時代の人たちは、自然をそういう比喩でとらえてないのです。自然の景色そのものが自分の心なのです。久住山に夕方かかっている雪が薄れていっている景色そのものが自分不安な心なのです。野の花の上に置いた露が消えていくのが自分の心なのです。露が消えるというのは、当時は死ぬことなのです。たとえで云っているのではありません。
 この歌の歌碑を久住町の衛藤町長に私が頼んで建てることができました。四国から運んだ大きな石に刻まれています。ちょうど朽網山三山がきれいに一望できる都野の大久保病院の裏の丘に建っています。県下にも万葉歌碑がずいぶんできました。みなさんで県内万葉歌碑巡りをするのも一興ですよ。


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