<ロータリー万葉50首>


倉無浜の歌

 l0月l5日は、大分で開催された全国新聞大会550人の大集会で「大分の万葉歌の心」と題して講話しました。そこで今回は、大分の万葉歌について鑑賞してみましょう。
 倉無浜の歌

我妹子が赤裳ひづちて植えし田を 
     刈りて収めむ倉無の浜

 有名な柿本人磨の作です。人磨には九州(筑紫〉に来て作った歌が別に2首あります。だから人磨は九州に来ているのです。淡路島から四国海岸を経由して国東半島安岐の浦に着き、さらに中津に寄り太宰府という道程であったかと考えられます。先の歌は、その時、中津の倉無浜(現在、中津市竜王町闇無浜神社境内〉に上陸した時に作ったものです。ちょうど、その付近の田んぽでは稲刈が盛んに行われていたのでしょう。あの豊かに実のった稲穂は、あの男の嫁が赤い裳裾を泥びいて植えた田にちがいない。今、それを男たちが一所懸命刈り取っているが、あまり沢山取れて収める蔵が足り無いという意味の歌です。(早乙女のことを豊殖を祈ってヨメと呼んだ)  これまでの万葉集解釈では、どの研究所も「この地帯があまり貧しくて稲を刈っても収める蔵がない」というふうに「倉無し」を貧しくて倉が建てられないと取っています。これは、まちがった解釈です。この中津から宇佐にかけての平野は昔からの米作地帯で豊穣な土地なのです。豊の国といわれるのはこの平野があってこそなのです。こういう状況を考慮しないで貧しいから倉が無いというのは、全く矛盾しています。豊作で取れすぎて収めきれる倉が無いというのが正しい解釈なのです。最近、刊行された小学館の刊の「日本古典文学全集」の注解では、「倉に収めきれないほどの豊作を念頭において」とし、「倉無の浜のある豊国のトヨに豊作を含めて詠んだ歌」と推定しています。
 この境内の神社の名が闇無浜神社というのも祭神が豊日別です。豊作の神様なのです。だから闇が無いのです。稲にとって一番大切な太陽が照り輝いているのです。神社の境内にこの歌碑が建てられ、説明板が郷土史研究グループによって設けられていますが、この解説は「貧しいから倉が無い」という古い解釈で記されています。これは、早く改めるべきではないかと思います。


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