<ロータリー万葉50首>


海ゆかば

   明日(10月10日)から富山に万葉の旅に出発します。富山県の高岡市は越中国の国府があった地です。ここに大伴家持が国守となって天平18年29歳の若さで赴任してゆきます。当時、越中は今の能登半島まで入った上国で家持は抜てきされたわけです。ここに在駐すること5年、その間に作る歌が202首、高岡はまさに万葉の宝庫といってもよいのです。歌碑でも62基も建っていますので、越中万葉の旅は極めて内容の濃いイベントとなるのです。
 その家持が越中時代に詠んだ歌の中で最もポピュラーなものが次の歌なのです。

 題詞があります。
  陸奥国に金を出す詔書を賀く歌

 海行かば 水清く屍山行かば 草生むす屍
     大君の辺にこそ 死なめ顧みはせじ

   昭和12年にこの歌に信時潔という方が作曲をしました。これが名曲で、私なんかは軍隊の時、毎朝東の方を向いて歌うと、つい涙が頬をつたってきて、この美しい日本のためにいつ死んでもいいという気持ちになったものです。ところが、最近はこの歌は民主主義教育と矛盾している、あの戦争中の軍国主義をたたえる歌だと危険視されています。しかし、この歌はそんな戦争を謳歌するような歌でもなんでもありません。万葉集の題詞をみてください。これは、わか国で初めて金が陸奥の国から大量に出てきたことを天皇が喜んだ時の歌なのです。当時、聖武天皇は奈良の大仏を作られていました。あの大仏は高さ16.2m、東京駅前に坐らせると7階建の丸ビルの高さあったのです。そのl0万貫(380トン)の銅製の上に、当時、全部金メッキをしたのです。ところが、当時、日本の国からは金が出なかったのです。それが宇佐神宮の託宣によって東国から産出するというお告げがあり、そのとおり、大量の砂金が発掘献上されたのです。これで、念願の大仏か完成すると喜ばれた聖武天皇が天皇家を代々守ってきた大伴・佐伯両氏に感謝の詔勅を出された。越中でそれを受け取った家持が、たびたび感激して作った長歌の中にあるのが、この歌なのです。戦争にでてゆく歌などでは全くないのです。いわば、金メッキの歌なのです。こんないい歌、もっとよんなでおおらかに唄おうではありませんか。


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