中秋の名月中秋のいい月夜が続いています。先週9月27日が名月、昨夜の19日月を寝待月、今夜は更待月(20日)で午後l0時ごろ出てまいります。そこでロータリー万葉50首、今日は月の歌を鑑賞してみましょう。柿本人磨作です。
去年見てし秋の月夜は照らせども
相見し妹はいや年離る
去年見た秋の月は今も照っているが、一緒にこの月を見た妻は、もうこの世にいないんで、ますます年月が遠ざかってゆく…といった意昧の歌です。人磨の妻は2人〜3人ということになっていますが、この時、亡くなったのは羽易の山の麓に住んでいた妻です。
この山は今は地名にありませんが、奈良県の桜井市と天理市にまたがった竜王山のことを指すようです。この歌には亡妻を忍ぶ無常感が淋しく漂っているすぐれた挽歌です。私も今ちょうど妻を亡くして今年の仲秋の名月を迎えましたので人磨の心情が哀切に迫ってきます。まさに「月か鏡であったなら」という昭和初期の流行歌がありましたが、そんな気持ちにもなるものです。
「月か鏡であったなら恋しいあなたの面影を 夜ごと写して見ようもの こんな気持でいる私」その後、忘れました。いや「忘れちゃいやよ忘れないでね」でした。
ところで、日本人は満月を賞でるより、少し欠けた十六夜月や今晩あたりの更待月を好みます。私は昨夜は飯田高原で寝待月をたんのう致しました。今晩あたりの更待月もきっといいかと思います。かの『徒然草』の著者吉田兼好法師も「花はさかりに、月はくまなきをのみみるものかは」いとって、花は満開や月は満月を見るものであろうか。それはあまりいいことではないと言っています。すべてのことが充ちたりたそういうものを賞でるのはよくないと言っています。これは、月に人類が上陸することにもあてはまるのではないでしょうか。アポロl4号のミッチエル隊長は月に立った人類で6番目の人ですか、彼は月に立って大宇宙を見渡すとその悠久さと神秘にうたれて、人類は果してこんなに宇宙を荒らしていいのだろうか、と疑問をなげかけて、地球に還ってから教会の牧師さんになって、そういうことを主唱し続けているということです。
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