言霊と連句さる9月l5日は町内の敬老会に招待されましたが、こちとらはそれどころではありません。大分県で初の連句の会結成大会を開催しました。今のところすべての事務から指導までやらなくてはならず老骨に鞭をきかして獅子奮迅しました。お蔭様で大盛会裡におさめることができました。これで平成10年の国民文化祭には大分県で初の全国連句大会ができる足がかりができました。めでたし。
さて、連句というのは、前の人の句(五・七・五)に後の句(七・七)を別の人が付け、また次の五・七・五を他の人が付けて行くという言葉の芸能です。万葉集にもそういうケースがありますが、これを完成させたのは江戸時代の芭蕉です。発句(五・七・五)から始まって挙句(七・七)の全部で普通36句で終ります。「挙句の果て」とはここからでた言葉です。この付句の付け方が大事です。前の人の句の心をよくつかんで、それとは違う自分の心で付句をしなくてはなりません。あるいは、後の句を作る人が作りやすいように配慮することも大切なのです。自分だけよければという現代人に他を思いやる心かできるのです。中・高校生のカウンセラーで連句を試みている学校もあります。精神科でセラピーとして試みている病院もあります。アメリカも日本の連句指導者を紹へいして実作指導をするまでになっているようです。
こういう連句文芸が我国で発生してきたのには言葉は心を持つという言霊(ことだま)信仰が古来からあったからです。
今日の万葉歌は、柿本人麿作の「言霊の歌」です。しきしまの大和の国は言霊の
助くる国そま幸くありこそ
この日本の国は言霊(言葉に宿る心)の助けてくれる国ですぞ。だから幸せなんですよ。という意味でしょう。当時の人は言葉に心が宿ると考えたのです。日照り続きの時は「雨よ降れ」といった言葉を歌にして神に捧げるとほんとうに雨が降ると信じたのです。地名の言葉を入れた歌を詠んで神に捧げると旅の安全を神が護ってくれたのです。言霊というのが日本語をアイマイにしたという人もいますが、どうでしょうか。言葉に宿る魂を信じたからこそ日本文化の深淵さが生まれたのではないでしょうか。
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