<ロータリー万葉50首>


石にも心がある

 昨日6日には、広島原爆の日。51年前の今ごろは、まだ特攻機か次々と南の空へ飛びたって帰らぬ人となりました。特攻出撃数は3145機といわれます。私の友人も2名帰らぬ特攻機に乗りました。無数の若者たちが祖国のため、犠牲になっていったことを忘れてはなりません。ちょうどテレビで鹿児島の特攻基地の記念塔に参拝した老夫婦二人が映し出されていました。塔の前の道の小さな石を拾った老爺が指先にはさんだ、その石をじっと眺めてつぶやきました。「わしの息子もここから沖縄方面に出撃して骨もなんにも帰らなかった。ひょっとしたら、この石は息子が踏んだのではなかろうか。」それを見ていたバスガイドが「爺ちゃん、それ、持って帰ったら」とよびかけました。老爺は「いいですか!持って帰っても」、大映しにされた老爺の眼から涙があふれるように頬を伝っていました。
 このシーンを見たら、すぐ万葉集の次の歌が思い出されました。

 信濃なる千曲川の細石も
     君し踏てば玉と拾はむ

 千曲川は、島崎藤村の小説で有名。万葉時代、ここに赴任してきた夫が亡くなりました。そのあとをしたってきた妻が読詠んだ歌です。
 夫が毎朝、ここを歩いていたであろうという思いにかられながら、足を進めていると、ふと、美しい小石が見つかった。ああ、これは、きっと夫のあたが踏んだ石に違いないと思う。私はこれを玉のように大事に拾って持って帰りましょう。という意でしょう。小石の中に亡き夫の心を見出したのです。特攻の息子の老爺と同じですね。物の中に心を見出すことができるのです。この時計は死んだ父親か息をひきとる時に持っていた時計です。これを見ると、親父の思い出がいっぱい沸いてきます。この時計には心かあるのです。


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